幼い頃、一番よく見てきた絵は、玄関にあった屏風と、祖父母のリビングに飾られていた古い日本画でした。
名画というほどのものではなく、由緒あるものでもなかったと思います。
それでも、子どもの目は細部までよく見ていたのでしょう。川の奥で竿をさす船人、羽を広げる鷺らしき鳥、筆のかすれ――そうした細やかな部分を、今でもはっきりと覚えています。
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その中に何を見ていたのだろう。
先祖が目にしてきたであろう景色。しかし、それはまるで異国のようであり、そこに生きる生物たちも、どこか現実とは違って見えた。絵の中で、遠いどこかへ旅立っていたのかもしれません。
少食で、おかずをなかなか食べきれず、親に「もう少し食べたら?」と言われることがよくありました。そんなとき、祖父母の部屋に隠れて、そこにあるものをじっくり見て楽しんでいました。あるいは、前栽の庭で雨の気配を感じたりもしていました。その空間は、所在ない気持ちから解放される場所であり、時間でもあったのです。
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絵は、心に寄り添えば寄り添うほど、その場所が異なる場所のように感じられ、空間に広がりが生まれ、記憶と深く結びついていきます。
器のように暮らしに根ざしたものとはまた異なり、絵は特別な存在でもあるのです。